たまりば

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人生とは質の問題であって量の問題ではないのだ、友よ。

2011年10月09日

座右の銘 10座右、11座右

昨日書いたはずなのに、確認・登録ボタン押さずに閉じちゃったみたいで
更新されていませんでした・・・無念。


なので、今回は2座右お送りいたします。

10座右はコチラ↓

人生は一冊の書物に似ている。
馬鹿者たちはそれをペラペラめくってゆくが、賢い人間は念入りにそれを読む。
なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことができないことを
知っているから。


ジャン・ポール


一度しか読めない書物とは、これまた扱いに困るものですね。

慎重に読むと多くのページを読破できそうにないし、
ペラペラめっくていたら、大事なページを流してしまう事になるかもしれません。

それでも後戻りできないならば、慎重に、念入りに読み進むべきなのでしょう。
間違っても適当に飛ばし読みしたりするのは、もってのほかですね。

それにしても、これは心に沁みる言葉です。
昨年の自分の失敗はまさに、「覆水盆に返らず」でしたので、非常に分かります。嫌でも分かってしまいます。
と、過去を悔やんでばかりでも仕方ないので、次の座右にいきます。


11座右はこれ↓

生は永久の闘いである。
自然との闘い、社会との闘い、他の生との闘い、
永久に解決のない闘いである。
闘え! 闘いは生の花である。
実りの多き生の花である。


大杉 栄


生きるということは、闘いであり戦いである。おそらく、そのゴールは死を持ってしか辿り着くこと叶わないのではないでしょうか。

人間は(他の動物も)罪深い生物です。自分からは何一つ(二酸化炭素くらい)生産できないので、ほかの生物を取り込む(摂取、食べる)することで何とか生きていけます。

社会もそう。忘れずにいたい事は、ついつい文句を言ってしまう今の社会(現代)も元をただせば、自分達が自分達の中で勝手に決めたことであり、自然の摂理はあまり関係していない。
自分達で自分達が決めたルールに対して、あーでもないこーでもないと文句を言っては騒ぎを起こす。

熊が出たから熊を殺しましたとか。
確かにそこに住んでいる人にしたらただ事ではないですけど、熊にしてみても勝手に住むところを奪われた上に、目撃されたら即射殺とか、さすがに熊が不憫でなりません。

ちょっと話が逸れた。

世の中の起こりうることすべてを、「仕方がない」、だけで済ませてよいものか。
仕方が無いで済ませては、立ち止まって今いる場所を躍起になって「確保」しているだけのような気がしてなりません。

何度も言いますが、じゃあどうすりゃいいんだお前やってみろと言われても何も出来ません。
しかし、「出来ないなら何も言うな」では社会(会社もな)なんぞはいつまでたっても良くなりません。

出来る出来ないだけは、「結果」のみを追いかけている事になります。
結果のみ評価するでは、新たにチャレンジをするような人間はほとんど出てきません。
結果とは過程の延長にほかならず、どれだけその時間の「密度を上げる」ことが出来たかで決まると思うのです。

密度を上げることは自分の限界への挑戦であり、闘いであるわけです。
相手が自分なわけですから終わりなんてきませんよね。
終わりが来るとすれば、自分が「もう終わり」とか「もう出来ない」と根をあげたときだろうか。

先日、NHKで放送している松下幸之助と奥さんの話(全3話)の第2回目を観ていたら、奥さんのお父さん(津川雅彦?)が言っていたセリフに
「人間の死に方は4つしかない。①病死 ②事故死 ③自殺 ④他殺 この4つだ。」

自然との闘いは何だろう、社会との闘いは何だろう、他の生との闘いは?・・・。
例えば老衰と言う死に方は、細かく調べれば「①病死」なんではないだろうか。全然詳しくないけど、老化が極まれば病気とかに対する抵抗力もなくなるだろうと思うのです。

②事故死は天災とか人災か。今の時期に口を開くのは宜しくないと思うのでこれ以上は慎みたい。

③自殺もあんまり話したくないが、これも社会他の生との闘いに疲れたり嫌気が差したりしてなるのではないだろうか。もちろんそんなに浅はかなものではないかも知れぬが。

④は正直どれに入るか決めかねる。しかし他殺は他の「人間」に命を奪われることだから、やはり「他の生」か。他の生といっても人間限定だが。


しかし、「人間が人間らしく生きなかったというぐらい恥ずかしいことはない。」とは、何と的を得ている一言か。
「恥」を知る事は「礼儀」を知るということであり、謙虚さを持たない人は礼儀を知ることは出来ないだろう。
松下幸之助の奥様がしていたことは、工員を住み込みにして礼儀作法を教えることでした。礼を知る人は人に疎まれることも無く礼を尽くす限り人としてゴールにたどり着くことが出来ると思う。

人生の闘いとは自分との戦いであり、他人は他人と認識した上で自分らしさを貫くことなのではないだろうか。自分との闘いなのだからゴールなんて無い。だから死ぬまで「闘う」わけだ、自分と。

自分に甘くしてしまうときがあるとすれば、それは「礼儀」を欠いてしまったその時ではあるまいか。


自分に厳しく、人には優しく。


永遠の目標である。



























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    Posted by メタルゴ at 23:59│Comments(0)ことわざ
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