戦国武将エピソード② 二度汁
今回は関東の雄、「北条家」にまつわる小話をば。
北条というと、鎌倉時代の北条氏を連想しますが、戦国時代の北条家は全く関係なく「北条早雲」が戦国時代に起こした戦国大名家であります。
その北条氏ですが、まず建国の祖とも言うべき早雲から始まり
①早雲 →②氏綱 →③氏康 →④氏政 →⑤氏直
と、5代にわたって関東に覇を唱えます。 約100年間支配が続きましたが北条の施政は非常に良く出来ており、家臣たちの生活態度一つとっても、人々の模範となるような生活を日々送っていたと言われています。
税制なども良く考えられていたようで、領民から不満などはあまり出なかったようです。
そんな長きに渡る北条家ですが、早雲を除くと一番非凡であったのは「氏康」ではないでしょうか。
もちろん、ただ単に最も栄えた時代の当主と言うこともあります。ですが、この頃は甲斐の武田、越後の上杉、駿河の今川、と周りは強敵だらけだったにも関わらず、領土を守りきるどころか更に発展させたのですから、大したものだったのです。しかも、外交だけでなく内政にもその才能を発揮したと言うのですから、まさにオールマイティープレーヤーだったのではないでしょうか。
人材登用なども適材適所に行ったと言いますから、人を見る目が優れていたと言うことでしょうね。
話が長くなりましたが、今回お伝えするのはその「氏康」にまつわるエピソードです。
タイトルは「二度汁」です。
あるとき、息子の氏政と食事をとっていたときの事。
氏康は氏政の食事ぶりを見て、「北条家も自分の代で終わるだろう」と嘆いたそうです。
当然、一緒に食事を摂っていた「氏政」や家臣たちは、まさに寝耳に水です。
一体それはどうゆう事なのか尋ねると、氏康は「飯に二度、汁をかけたからだ」と言ったそうです。
*当時の戦国武将の食事は、玄米のご飯に糠の味噌汁と漬物とかでした。ご飯に味噌汁をかけて食べるのも定番であったようです。
食事は毎日するものなのに、飯にどのくらい汁をかければ良いのかが解らぬとあっては
到底、人の目利きなど出来るはずもないと言うのが氏康の見解です。
残念ながら、その言葉通り、氏政存命中(家督は氏直に譲っていた)に、秀吉と無用な戦を起こし、自身は切腹、北条家は滅ぼされてしまいました。
カエルの子はカエルであることが多いですが、同じように鷹の子が必ずしも鷹とは限らないのが世の常なんでありましょう。
これは氏康↑