戦国武将エピソード
突然ですが、今日は戦国武将のお話です。
皆さんは、
立花道雪って武将をご存知でしょうか?
あまり知りませんか・・・。では信長の野望ってゲームで勉強してください(冗談です、ネットで検索してください)
この道雪さんですが、大友宗麟って戦国大名の軍にいたんですがメチャクチャ強かったんです。
そして大友軍にはまだ他にも、「
高橋紹雲」と道雪の息子(養子、紹雲の実子)の「
立花宗茂」ってのもいました。こいつらがまた強いんだ。
そんな無敵の大友軍。着実に九州を平定しつつあり、あとは端っこの
島津家を残すのみという所まで快進撃を続けます。
しかし、大友軍の快進撃もそこまで。「耳川の戦い」で島津軍の
釣り野伏せ作戦によって大敗北を喫します。
簡単に考えると、島津軍の方が戦上手だっただけじゃないかと思うかも知れませんが、実際の要因は別のところにあったと言います。
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大友宗麟というと
キリシタンで有名なんですが、キリシタンだと何がイイって南蛮貿易での巨額の利益に加え、布教に邪魔な神社仏閣の弾圧による「所有領の没収」でも利益(領地拡大)を上げていたといわれます。
そんな罰当たりなんだか敬虔深いんだか欲深いんだか解らない宗麟は、島津軍を倒すべく進軍しながらついでとばかりに進む先々の「神社仏閣」を破壊しつくします。明らかにやりすぎですね。大友軍の兵士達も、「これちょっと、やべ~んじゃねぇの?」って思いますよ、うん。
そして、決戦(戦闘・合戦)において兵の士気を高める事は必要不可欠なんですが、
大将自らが先頭に立った島津軍と
大将は200km後方でお祈りをしていたという大友軍では、始まる前から結果は見えていたのでしょう。
何事も口だけ動かして自分は全く動かない人間、兵士達だけ危険な目にあわせるような、そんな人間にはだれもついて行くはずが無かったんではないでしょうか。例えそれが代々の主君であってもです。
人を動かすには、どうすれば良いのか? 島津軍の大将「島津義久」は戦場で兵士達を励ましたと言います。
また、話は変わりますが三国志(コーエー繋がりって事で)の武将、
夏侯惇って人は、清廉潔白であり私利私欲のために動く事は無かったといいます。また堤防をせき止める土嚢を運ぶ際も、自ら率先して運んだと言われています。
少なくとも、今回ご紹介した2名は人の動かし方を良く解っていたんですね。
なにも特別な事をやるわけじゃないんです。相手の気持ちを少しだけでも酌んでやることが大事なんではないでしょうかね。