座右の銘 37座右

メタルゴ

2011年11月16日 00:33


久しぶりの更新でした。
待ちわびていた人、ほんとすいません。
待ちわびていませんでしたか、そうですか。

ならササっと始めましょう。
はい、第37座右

現在は過去以外の何ものも含んでいない。
そして、結果のなかに見出されるものは、
既に原因のなかにあったものである。


ベルグソン

まさしく現在自分が置かれている状況と言うのは
過去の自分が判断し選択した結果であり、
誰のせいとか社会や環境が悪いとか、
まったくもって言い訳に過ぎません。

とはいえ人間誰しも言い訳するし、自己弁護もしたくなりますよね。
わかりますわかります。ワタクシめもそうですもの。

でもね、それを踏まえたうえで、どこかで線引きをして我慢したり
自己修正を加えたりしながらどうにかこうにか先に進んで行くんだと思います。

嫌でも何でも時間は正確に過ぎてゆくものだし、
自分の道は自分が足を動かさないと
進めないのですから。

自分の人生を他人は進めないし、他人の人生を自分は進めない。
当たり前だけど、どこかで勘違いする自分がいる気もする。

原因-過程-結果


原因があって結果につながる。
原因と言うくらいだから、土台は「原因」が占めていると思っていい。

しかし、ほんの少しでも未来の「結果」が幸せに傾くのなら
もう少し「過程」を重視してもいいのでは?

松下幸之助さんの「道をひらく」に載っていた言葉に
「是非善悪以前」と言うのがある。

人に限らず、この世に存在するもの全ては「決まった存在」としてそこにある。

人間に置き換えれば
足の速い人、料理の得意な人、計算が早い人、笑顔が素敵な人、力が強い人、イケメンな人。
裕福(物質的に)な家に生まれた人もいれば、貧しい(物質的に)家庭に生まれた人もいる。
親や生まれた家、町、もっと大きく言うと先進国や途上国。治安のいい国、悪い国。

自分の力ではどうにもならなかった事が人生の大半を占めている。

だったらせめて、自分の力でどうにかできるところくらいはどうにかしてやりたいと
思うじゃないですか。

きっとそれで良いんだと思います。
そして、せめて「過程」くらいは自分が納得できるような、そんな行動を日々心がけたい。



難しいけどね。






























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