2008年05月28日
泣いて馬謖を斬る
これはちょっとカッコイイ絵面ですな↑
今回の言葉、「泣いて馬謖を斬る」
三国志好きの方ならモチロン知ってますよね?
諸葛亮(孔明)の北伐(第一回)に際して、重要地点である「街亭の戦い」において
功を焦った馬謖が、魏軍の勇将 “張郃”によって散々に打ち破られてしまい
蜀軍は撤退せざるをえませんでした。
諸葛亮の壮大な計画は、儚くも最初の戦いで散ってしまったのです。
その戦いの際に諸葛亮は、馬謖に対し「街亭では道筋を押さえてよく守るように」と念を押していたが
馬謖は山頂に陣を敷き、張郃に水路を絶たれ惨敗したとあります。
その後、第一次北伐での敗戦の責任を馬謖とその配下である将軍に問い、私情を捨てて罰したと言います。
また、馬謖という人物はなかなかに優れた人物であったとされており、その才能を愛した諸葛亮に重用されておりました。
すぐ上のお兄さんに「馬良」という人物がおり、コチラはさらにその上を行く人物であったようです。
さて、今回の言葉の意味ですが現代ではこのように使用される事が多いようです。
「どんなに優秀な者であっても、私怨私情で法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多く、『正史』の記述に則したものであると言える。マスメディアでは、何か不祥事などを起こし仕方なく処分された人物などがいた場合に「泣いて○○を斬る」などと引用して利用されることがある。
と言った感じで使われます。
現代は良い事も悪い事も、今までとは比べ物にならないスピードで広がります。
”船場吉兆の廃業”や”不二家の本社身売り”なんかは、なんかはよい例です。
あれだけの老舗(もっと古い企業もありますが)も一発不祥事を起こしただけで、退場です。
人間でも会社でもそうですが
どんなに仕事が出来ても、犯罪を起こしちゃあいけませんよと言っておるわけですな。
世の中で最も怖いものは何なのか良く考えたい。
自分もいい加減だった時期がありました。良いとか悪いとかでなく、中途半端。つまりいい加減。
人生において何が大事か考えると、「ズル」をしない事が一番大事かと。
もの凄く心の強い人なら、全く罪悪感を感じずにズルをし続けられるのでしょうがワタクシめには無理。
だから、「ズルをしない」事で少なくとも「負い目」や「引け目」を感じずに気持ち良く毎朝を迎えたいと思ってます。
別に金持ちになれなくてもいいじゃないですか。
社会的地位が低くてもいいじゃないですか。
自分の力で一人でも多くの人が少しでも幸せになってくれれば、それでいいですよ。
もちろん自分の無力さもよく分かってますから、指で数えられる人ぐらいしか力を貸してあげられません。
う~い、何だか話が逸れちまったし
メタルゴッドらしくない事を書いてしまった・・・・。
きっと八海山のせいだな。
明日は呑むの控えよう。